講師紹介
「子どもたちとそのご家庭に、あたたかい時間を届けたい」
それが、私の想いです。
音楽が毎日の中で小さな喜びや笑顔になるような、
そんな“健やかな教室”を目指しています。
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はじめまして!
ピアノ講師の関まりえと申します♪
音楽指導に携わって20年以上。これまでの歩みを、少しご紹介させてください。
お読みいただけたら、とても嬉しいです!
~幼少期〜音楽との出会い~
接骨院を営み、柔道を教える元気いな父と、
クラシック音楽や絵画を愛する明るい母のもとに、私は未熟児として誕生しました。
体は小さく生まれましたが、のびのび元気に育ち、
幼稚園ではハーモニカが得意だったり、背の順でも前の方ではなくなったり(笑)、
元気印な子どもでした。
年長さんの頃、近所のお姉さんの誘いでヤマハ音楽教室のグループレッスンに通い始めたのが、音楽との本格的な出会い。
歌うことも大好きで、母が私の歌声をカセットテープに録音してくれていた思い出も、今でも大切に覚えています。
3つ下の妹、4つ下の弟とともに、賑やかでにぎやかで、笑い声の絶えない我が家で過ごしました。
~小学生時代~
なぜか「しっかり者」と思われがちで、学級委員に選ばれることも多かったのですが、
実は全然そんなことなかったんです(笑)
ヤマハのレッスンは大好きで、先生のことが本当に憧れの存在でした。
髪型もお洋服も、先生そのものがキラキラして見えて、
家では「先生ごっこ」をして遊んでいたほど♪
妹が生徒役で、私はもちろん先生役!
4年生からはグループに加えて、ピアノの個人レッスンもスタート。
でもちょっとだけ悩んでいたこともあって…。
「ブルグミュラーとかソナチネとか、有名な曲が出てこない…」
「まわりの子の方が上手な気がする…」
なんとなく、自分が遅れているような気がして、不安を感じることもありました。
そんなある日、仲良しの友達が「人形の夢と目覚め」という曲を聴かせてくれて、
その美しさに心を奪われた私。
「私も弾いてみたい!」と思い、教室のオルガンで、その子に少しずつ弾いてもらい、
私は横で手の動きをじーっと見て、少しずつ覚えていきました。
何日か繰り返して、ついに一曲マスター!
「弾けた!」というよろこびは、今でも胸の奥に残っている、はじめての大きな達成感でした。
~中学生時代~
吹奏楽部でフルートを担当し、副部長も務めた中学時代。
本当はゆる〜い部活に入るつもりだったのに、仲良しの友達に流れるように入部して、朝練・放課後と毎日クタクタになるまで頑張っていました。
でも、そのおかげでアンサンブルの楽しさを知り、今でも吹奏楽をやりたいなぁと思うほど♪
仲間と過ごした時間も大切な思い出です。
ピアノは小6でヤマハを卒業し、個人レッスンへ。
ハノン、ツェルニー、バッハ…と、本格的なクラシックの学びが始まりました。
でも、ここからが私の苦労の始まり。
小学生の頃は、耳で聴いて弾く“なんちゃって譜読み”が当たり前だった私にとって、楽譜を読むことが本当に大変で…。
毎回のレッスンでは怒られてばかり。「今日もきっと怒られるんだろうなぁ」と思いながら通っていました。
それでも、不思議と「辞めたい」とは一度も思いませんでした。
3年生からは声楽のレッスンも加わり、ますます多忙に。
部活から帰って疲れていても、ピアノの練習、ソルフェージュの宿題、歌の練習…。
今思えば、よくやっていたなぁと思います。
できない私をずっと支えてくださった先生方には、感謝の気持ちでいっぱいです。
~高校・大学時代~
宇都宮短期大学附属高校音楽科に進学し、ピアノと声楽を専攻。
クラスは1つだけで、個性豊かな仲間に囲まれた3年間でした。
遊ぶ時間はほとんどなく、学校が終わるとすぐ帰宅しては練習の日々。
最初は短大に進学するつもりでしたが、恩師のすすめで東京の音大を目指すことに。
両親も私もまったく想定していなかった進路にびっくり!
高校3年からは東京に通って音大の先生にレッスンを受けるようになり、私の人生で一番練習した1年間が始まりました。
そして武蔵野音楽大学ピアノ科に進学。
学生寮での4年間は、相部屋・門限・点呼・お風呂トイレ共同・コンセントなし!というなかなかの環境で、入寮当初はホームシックに。
でも、夜な夜な友達の部屋でお菓子を食べながらおしゃべりしたり、今でも続く大切な友人との出会いがあったり…。
不便な生活を通して、「私はどこでも生きていける!」と思えるようになりました。笑
~講師としてのスタート~
大学卒業後は宇都宮に戻り、ヤマハ音楽教室の講師としてスタート。
幼いころに憧れていた“ヤマハの先生”になれた時は、本当に夢のようで、
「なれたんだ…!」という喜びで胸がいっぱいになりました。
でも、現実は想像以上に厳しくて。
主にグループレッスンを担当する中で、
初レッスンでは保護者の視線に緊張しすぎて、思い描いたレッスンは全くできず、
いきなり挫折感に包まれました。
毎日が不安でいっぱいで、食欲もなくなり、半年で7kgも体重が落ちるほど。
それでも「なんとか1年やりきろう」と必死にがんばりました。
一生懸命取り組む中で、少しずつレッスンにも慣れ、
子どもたちの笑顔や成長に励まされながら、次第に自信も芽生えていきました。
そして気づけば、週末にはスノーボードやボディボードを楽しむ余裕もできて、
「音楽と暮らす毎日」が少しずつ自分らしい形に近づいていったように思います
~母との時間、そして転機~
音楽講師の仕事は午後からが基本ですが、20代後半からは1歳・2歳の未就園児クラスも担当するようになり、
午前中からのレッスンが日常になっていきました。
仕事も徐々に軌道に乗りはじめ、「やっとここまで来られた」と感じていた27歳のとき、母の喉にがんが見つかりました。まさに、晴天の霹靂。
ステージ3と診断され、すぐに16時間に及ぶ大手術へ。
手術は無事成功したものの、声帯を失ってしまい、声を出すことができなくなりました。
それでも母は、自分の運命を悲しんだり落ち込んだりすることなく、むしろ明るく過ごしていました。
「私の母って、ほんとうにすごい人だな」と、心の底から思いました。
その後は父が60歳を過ぎてから立ち上げた事業に加わるほどに回復し、母が戻ったことで家の中もまた元気に回り始めました。
その頃の私は、140名近い生徒を担当し、新人講師さんの研修や、ヤマハ本部でのレッスン研究会にも参加。
いただいたお仕事はほとんど引き受けていたと思います。
毎日がとても忙しかったけれど、あの1年目の大変さを思い出すと「今は本当にありがたいな」と感じていました。
何より、音楽を教えることが楽しかったです。
休日には、母と一緒に東京へ出かけて、コンサートやミュージカルを観たり、ショッピングを楽しんだり。
母と過ごす時間が、私にとって何よりの癒しでした。
そんな中、私が38歳のときに、闘病していた父が他界。
前日まで普通に会話をして、お酒を飲んでいたのに――。
突然の別れは、まったく受け止めきれないものでした。
その後、私は自分のこれからについて深く考えるようになります。
経験を積ませてもらったからこそ、「もっとこうしたい」「自分らしくやってみたい」という気持ちも強くなっていました。
けれど、組織の中ではその想いを形にするのが難しく、心の中にはいつもモヤモヤが残っていました。
そして、41歳のとき、母が再びがんの大手術を受けました。
手術は成功したものの、半年後に再発。
お医者様から「これ以上できる治療はない」と告げられた母は、最期の時間を自宅で過ごすことを選びました。
「まさか、自分が母の介護をすることになるなんて…」
戸惑いながらも、気がつけば私は自然と動いていました。
そして、翌年。
母は、私の手の届く場所で、静かに、安らかに旅立っていきました。
母の誕生日の、前日のことでした。
最初にがんが見つかってから15年。
何度も再発を繰り返し、手術や入院を乗り越えてきた母。
それでも、弱音を吐いたことは一度もありませんでした。
「私はいつも平常心なの」と笑っていた母は、最後まで本当にすごい人でした。
どんなときも私を支えてくれた、私の最愛の母です。
~これまでと、これから~
長年続けたヤマハ音楽教室では、グループレッスンや個人レッスンに加え、新人講師の研修や本部の研究会など、さまざまな経験を積ませていただきました。たくさんの出会いと学びに恵まれ、「本当にやりきった」と胸を張れる時間でした。
母が旅立った年、悩みに悩んだ末、ヤマハの講師を退任。これまでの経験を胸に、自分のスタイルで教室を運営していくことを決意しました。
私の生徒さんは、小さい頃から長く通ってくれる子が多く、ひとりの成長をずっと見守れることは、音楽の先生だからこそできる、かけがえのない喜びです。
そして2023年。長年通ってくれていた生徒さんが、なんと東京大学に現役合格!
塾に通わず、自分の力で乗り越えた彼は、勉強に加え、音楽系の部活動でも忙しい日々を送りながら、「ピアノが息抜きなんです」と話してくれていました。
私の教室から東大生が誕生するなんて…! 本当に嬉しくて、これからの彼の未来が楽しみでなりません。
音楽を通して、笑顔の時間を
私にとって、教えるということは「誰かと向き合うこと」。
どんなに悲しいことがあっても、生徒さんや保護者の方の顔を見ると、不思議と心がふっと軽くなる。そんな日々に何度も救われてきました。
これから出会う皆さんとは、どんな音楽の時間を過ごせるでしょうか?
ピアノを通して、あたたかな笑顔が広がるような教室でありたいと願っています。
これからも、明るく元気に音楽をお届けしてまいります♪
どうぞよろしくお願いいたします。